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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

田舎カレー お好み焼き

田舎カレーが食べたいの巻


日本人はカレーとラーメンが好きという。おいらはどちらかと言うとラーメン派であるが、カレーも嫌いではない。


田舎カレー


日本カレー党党首のような先輩のMさんは、3ヶ月間でも毎日カレーが食べられるそうだが、おいらはさすがに中1日おかなければダメだ。

そのMさんご推薦のひとつが、京王百貨店新宿本店脇にある某チェーン店の立ち食いカレー屋である。ここのカツカレーは、カツがカレーライスの上で程良く柔らかくなっており、その歯ざわりには打ち震えてしまうほどである。

 おいらの推薦は、紀伊国屋書店本店地下に所在する某スナックのカレーである。独特の液体カレー!であり、習慣性の強い何かが入っているのではないかと思われるくらい、月に1度は食べたくなる不思議なカレーである。

 ところで、田舎カレーである。年を取ってくると、昔幼少の頃食べたものへの郷愁が湧いてくる。どうしてだろう、人間年を取ると昔の味を求め始めるのは。

で、小学生のころ、我が家で母に作ってもらったカレー、すなわちおふくろの味のカレーが食べたいのである。ルーは、グリコワンタッチカレーか、インドカレー、またはオリエンタルカレー(お~、懐かしや~)であったと思う。ところが、ヒドイ。今はそのどれを探しても、スーパーには売っていないのだ。何故か、洒落た味のルーしかなくなっている(ハウスもS&Bもグリコも)。

 したがって、仕方なく、自分でその味を再現しようとするのだが、これがなかなか田舎カレーの味にならない。おいらは料理が嫌いではないが、難しい。嫁はんは、お世辞でしきりに美味しいオイシイと言ってくれるのだが、作る目的は小さい頃のカレーの味の再現である。

 やむなく、広島の母に直接聴いてみることにした。

 まず、ルーはハウスバーモントカレー(中辛)が良いそうだ。これが、当時の味に一番近い。

 次に料理の手順だが、ジャガイモと人参は適当な大きさに切った後、半日ほどさらしておく。ジャガイモ、人参、玉葱、肉は、塩胡椒抜きとし、鍋の中でオリーブオイルで炒める。肉は多めに入れるのがコツだ。

鍋はそのままにして和風出汁(だし)の効いたお湯を適量入れ、煮込む。その後煮立ったら、一旦火を止める。カレールーを入れた後で、ウスターソースを適量(多めでも良い)入れ、その後、牛乳をたっぷり流し込む。後はとろ火で煮込む、とコツを伝授された。カレールーの外箱に書いてあるレシピにない点は、出汁、ソース、牛乳である。

 さあ、出来上ったぞ。それが、上の写真の我が家のお袋の味だ(右側は生卵入り)。おいしい~。田舎カレーが再現出来て、涙・涙の物語りである。満腹になるまで、余はたらふく食し、昔の子供時代に戻りましたぞよ。もう何もいらない~。

食い物のエセーの善し悪しは、その作品を読んだら食べたくなるかどうかである。ところが、書いているおいらが読者より先に食べたくなってしまった。

今夜はまたカレーに♪



  母が作ってくれたお好み焼き(前編)

 本日より3日間、関ネットワークス「情報の缶詰10月号」に掲載された「母が作ってくれたお好み焼き」をお送りします。


志功 痴人の愛


「母が作ってくれたお好み焼き

1.RCC中国放送

 8月中旬、突然、「おたふくソース広島本社」の広報部からおいらの自宅に電話がかかった。

 おいらが母のことを書いたお好み焼きにまつわるエセー「母が作ってくれたお好み焼き」をRCC中国放送(1350kHz)で放送したいというのだ。

 ラジオ放送は、今年の8月30日月曜日、午前11時55分から12時までの5分間番組「お好み焼きのある風景」である。

 番組の中でパーソナリティである柏村武昭さんからおいらのエセーを朗読していただけるという。柏村武昭さんといえば、早稲田出身のタレントで元参議院議員、広島の中条きよしとも呼ばれる有名人だ。広島では未だに根強いファンが多い。

 RCCの受信エリアは中国地方なので、残念ながら関東地区では聴けないのだが…。


2.オタフクソース

 実はこのエセー、二年前にオタフクソースが応募していたお好み焼きにまつわる思い出エセーとして、母を思い出しながら書いたものである。

 そのときは何も音沙汰がなかったのだが、今年の春から柏村武昭さんの「お好み焼きのある風景」が新番組としてオンエアされるようになったらしい。それで上述のように、おたふくソースから放送させて欲しいとの依頼があったものである。

 おいらは二つ返事で了承し、放送を愉しみにしていたのだが、広島地区以外では放送が聴けない。しかし、そこは良くしたもので、オンエアしたものをCD―ROMにして後で自宅に送ってくれるという。これは有難い(続く)。


  母が作ってくれたお好み焼き(中編)


 それでは、放送された原稿をそのまま紙上に掲載する。


志功


3.母が作ってくれたお好み焼き

「人を喜ばせることが大好きな母である。その太陽のような母は今年の夏に80歳を迎える しかし、母は二年前に脳梗塞を患い、現在も病院でリハビリ中の身だ。

 広島の田舎に母は一人で暮らしていた。特技は、自慢の料理を近所の人達に配ることであった。特におはぎが得意で、一度に平気で50個も作る。近所からは、今度はいつかと楽しみにしてもらうほどの腕前である。

 そのくせ、母は食べ物の好き嫌いが激しい。だから、町内会で旅行に行くときなどは、友達が皆、母の席の隣に座りたがるのだ。母は蟹や海老が苦手なので、隣の人にすぐあげてしまうという人気者なのである。

 そのおいらの自慢の母が、作るのも食べるのも好きなのがお好み焼きであった。本格的な鉄板の上で、アツアツのお好み焼きを作るのである。母のお好み焼きのルールは二つしかない。中に必ず焼きそばを入れることとオタフクソースをたっぷりと使うことである。

 その母は、いつになっても息子のおいらに宅急便を送ってくれた。田舎でとれた野菜や乾物に交じって、おいらの好物が入っていた。おいらが密かに楽しみにしていたのは、お好み焼きセットである。おいらがお好み焼きを好きなのを覚えていて、毎回小麦粉やオタフクソースを入れてくれていたのである。

 さて、入院中の母の楽しみは、外泊許可を貰っての年数回の帰宅である。定期的に広島に帰省するおいらと弟の二人で母を自宅に連れて帰り、家族揃って和気あいあいの時間を過ごすのである。

 母が座敷の真ん中に車椅子のまま座る。弟が母の隣に座り、母の介添えをする。もちろんおいらは母譲りの腕前でお好み焼きを作る。鉄板に油をひく。卵、小麦粉、山芋、豚肉、キャベツ、もやし、ニンニクと焼きそばにオタフクソースをたっぷりと使うので、ソースの焦げる匂いが部屋中に充満する。

 昔は、おいらと弟がお腹をすかして、母の作るお好み焼きを卓袱台の前で今か今かと待っていた。親鳥から餌をもらう雛(ひな)鳥である。それが、こうして今、母がおいらの作るお好み焼きをちょこんと待っている。

「よーし、母さんに伝授してもらったお好み焼きが出来たぞ」

 母は言葉と右半身が不自由だが、おいらがそう云うと嬉しそうな顔をする。弟が切ってくれたアツアツのお好み焼きを母が口にほうばる。

 三人が眼と眼を合わせながら、お好み焼きを食べる。幸せはこうして一家団欒の中にある。お好み焼きは、母と我が家に欠かせない元気の源である。

 ガンバレ母さん、脳梗塞なんて吹き飛ばそう!」(この項続く)


  母が作ってくれたお好み焼き(後編)

4.放送、そして放送後の反響

志功


 母は現在も不自由な体でありながら、元気である。エセーでも述べた病院を退院し、その後、施設に入所することができた。

 幸い、放送当日は東京在住の末弟が広島で母を遠距離介護してくれていたので(おいらと弟との兄弟3人が介護のローテーションを組んで母を介護中である)、放送当日は一緒にラジオを聴くことができたのである。

 その弟からの情報によれば、当日、ラジオを前にして母と弟が施設の入居者と一緒に放送を聴き、母が大層喜んでくれたという。おいらにとってはこれが何よりも嬉しい。

 また、放送前には、おいらから広島在住の親戚(母は6人兄弟姉妹で上から3番目)や母の友人に「ラジオ放送があるよ」と連絡を入れておいたので、放送後には聴いて良かったという内容の電話やハガキが母の許やおいらの自宅に数多く届いた。

 無論、おいらの自宅に届いたお礼のハガキは母へ転送しておいたのは云うまでもない。

 いやはや、ラジオの威力は凄い。でも、それ以上に母が喜んでくれたということが、おいらにとっては一番嬉しい。

 親孝行をこれからも続けたいと思うし、続けます。

(小説作法第3回は次回に予定します。)(この項終り)




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